[[[[[[[[[ 運命の出会い ]]]]]]]]]
それは、小雨のそぼふる淋しい夕方だった。
中野にある小料理屋の女中となるべく、田中加代と名乗る定は
「吉田屋」の戸を叩いた。
扉の向こうに聞こえる「どなた。」という男の声。
いつもなら奥にばかりいて玄関先になど出てこない主人、吉田吉蔵だった。
突然パッと目の前が明るくなったような、はっきりした涼しげな笑顔。
新たな恋心とでもいうのだろうか、目と目がピッタリ合ったその時、
定と吉蔵の運命は決まってしまったのだった。
奉公して10日くらい経ったころ、廊下ですれ違ったときなど
吉蔵は、定の頸(くび)を指で突いたり、立ちふさがって通せんぼしたした。
定に対する親しみ溢れた無言の目つき、
四十代の男には見られない純な、擦れてない、恥ずかしそうな素振り。
朝な夕なに顔を合わせては、ただ訳もなく微笑む日々を繰り返した。
寒い雪の振りしきる日、定は髪結いに行った。
髪を結って、雪に首をちぢめるように出てきたところを、
横丁の路地に顔を隠すようにして、傘を持って吉蔵は待っていた。
たとえ料理屋の主人とはいえ、使っている女中に傘を持ってきてくれるとは。
軽い驚き、嬉しい胸のときめき、いぶかしげに見つめる定の前に
そっと傘をさしかけてくれた。
「ひどい雪だから・・・、迎えにきてやったのだよ・・・」
しどろもどろ、遠慮しいしい、定のそばに立つのだった。
常日頃想うその人が、はっきり自分に親切を示してくれた。
「お前が好きだ」とはっきり言われるその前の、
なんともいえないあたたかい思いやり。
うれしさでいっぱいの定は、何ひとつ言葉にならなかった。
ただそっと傘の中へ吸い込まれるように入っていった。
[[[[[[[[[ さらに近づいて ]]]]]]]]]
定が二日ばかり暇を取って、吉田屋に戻った夜、
吉蔵は定に近づいて小声で「昨夜は良いことをして来やがって」
と云って耳たぶを噛み、肘(ひじ)で定の尻を突いた。
定は横目で色っぽく睨(にら)みながら嬉しく思った。
吉蔵が魚河岸へ行くために早く起きた朝、
厠(かわや)に起きた定の手を握り「冷たい手をしているな」と云って
定を抱き締めた。
まだ若い頃、それはまだ少女のような年頃の淡い恋心ゆえに
何も知らず、何も意識せずに、求められるまま、
あっという間に処女を失った定。
それから先の何年かを花柳に身を沈め、男から男へ
真実を求めようともせず、ただ浮き草のように転々と暮らしてきた定は
当然、男心のうらおもてを知り尽くした女になっていた。
にもかかわらず、生まれて初めて知った恋に身を焼かれるようになり
夜もすがら眠れぬ幾夜が続くようになった。
幾間か隔たった座敷の障子にあの人の影法師を見つめるとき・・・
静かに眠っているあの人の寝姿を想うとき・・・
云うにいわれぬ苛立たしさと、心の平静を失い、半病人になってしまうのだった。
どうにもならない愛着、そして火のように強い恋、
それは弱い、儚い(はかない)女心というのだろうか。
定は、大宮への尊敬と愛情の二重な想いに悩みつつ、
明るい性格の吉蔵に日に日に心惹かれるようになっていった。
[[[[[[[[[ あひびき ]]]]]]]]]
「お加代さん、離れにお客さんですよ」お内儀さん(吉蔵の妻)に云われ
お銚子を持っていくと、吉蔵が客になって酒を飲んでいるので驚いた。
「外で酒を断わっているから、今日は家で客遊びをするのだ」という。
定がお酌をすると、吉蔵は手を握ったり抱き締めたり、
次第には着物に手を入れてきたが、定はされるままに任せていた。
間もなく芸者が来て、定は吉蔵の唄う清元を初めて聴いたが、
喉が良くあまりにすてきだったので、完全に惚れてしまう。
芸者が席を離れたその隙に、ふたりは初めて関係を持った。
その翌朝、定が厠に起きたところ、待ち伏せしていた吉蔵に誘われて
そっと離れの間に行き、また関係した。
ふたりの仲は次第に露骨になっていき、ある晩、
応接間の電気を消して、長椅子に並んで腰掛け
関係しようとしていたところを女中に見つけられ、家人に知れわたってしまった。
そして「外でゆっくり相談しよう」との吉蔵の誘いで、
渋谷丸山町の待合(連れ込み旅館)に行った。
吉蔵に惚れたのは最初、定にとっては一時の浮気で
「吉田屋」に雇われた当初は終始、大宮のことを考え、
ゆく末を楽しみに働いていた。
しかし大宮の、誠意はあるが女の気持ちを察せず、
手紙一本くれない態度に頼りなさを次第に感じ、
ついに浮気するようになったのだった。
|定 Top|
−1−|
−2−|
−3−|
−4−|
−5−|
−6−|
−加筆−|
|