【 あ と が き 】
阿部定が意識されるようになったのは、いつごろからだったっけ?
それはべつに、事件現場がウチの近所だった、
ってことを知った昨年からなんじゃない。
それはホントに、「たまたま近所だった」ってだけ。
いや、、、それを知ったときは、「なるべくして近所だったのか?」
なんてこともよぎったかも。
そうだ。
そう思ったから、なおいっそう、
彼女のことを識りたい、と思ったんじゃないか。
性的に関係を持つことをよく、「最後まで行く」とか云う。
でも、そのおこないが本当に「最後」なのだとしたら、
それは、なんてあっけない“ゴール”なんだ?
ましてや、ある程度「オトナ」になれば、
お互いがそうなることを求めている、っていう
思いの片鱗だけでも通じ合ってしまったら
あとはもう、「時間の問題」でしょ。
まだまだ相当若いのならば、
「付き合って○ヶ月経ってからじゃないと、やっぱ、そこまではね、、、」とか、
「デートも、○回すれば、そろそろいいかな」とか、あるんだろうけど、
年重ねてればさ、そんなん、「時間の問題」でしょ。
本人たちの気持ち次第でしょ。
そうなるまでの時間に「早い」も「遅い」もないでしょ。
タイミング次第で、なるべくしてそうなっていくものでしょ。
となれば、そうなることを、ほんとに、
「最後まで行っちゃった」とか表現するのならば
なんとまぁ、あっけない“頂上”だこと。
要するに、、、
それだけでは「もの足りない」ということ。
だってあれは、ただ、
「究極の愛情表現」の延長線上にある、
ちょっとしたひとつの行動にすぎない。
そのおこないよりも、もっと強く、より深く
相手に「想い」を伝える手段というのは、ないものか。
相手の「想い」を感じる手段というのは、ないものか。
(それは、まるで空論!、と誰からも云われそうだけれども、)
相手を深く想えば想うほど、
そういった願望というのは、比例してデカくなっていくんだ。
ましてや、性的な関係が、必ずしも
“愛情表現”という山のてっぺんに君臨してるわけじゃない、
ってことなんて、みんながわかってる、コノ時代。
ただ、その山のてっぺんには何があるのか、それはワカラナイ。
■ こどもをつくる、とか?
。。。ちがう、ちがうんだ、
求めているのは、そういった愛の形とは、ちょっと違う。
いや、大いに違うんだ。
「こども」というのは、私の中では、恋愛性に欠ける。
あくまで私の追求したいことっていうのは、そこにあるのだもの。
■ 相手のことを好きなあまり、猟奇的行動に出てしまう?
。。。いや、それもちがうなー。
相手が死んじゃったら、気持ちの呼応が不可能になってしまう。
それじゃあ、元も子もないよなー。
いやしかし、これまで、恋愛という関係のなかで、
猟奇的行動に移ってしまったひとっているけど、
どーしてまた、そんなことになっちゃったんだろ。
そういえば、阿部定っていたっけな。
急所・切断・持ち歩き、でしょ。
究極だー。
なんでナンデ?なんでまた?
そうなった経緯を、本人に直接伺ってみたいくらい
かなーり興味あるなー。
相手の‘ソレ’が、なんとも愛しくって、たまらなくなっちゃって、
とうとう切ってしまった?
どんなに努力してみたって、♀には手に入れられないものだもんねぇ。
デパートにマフラーとか買いに行く感覚で、
簡単に自分のものに出来る、ってワケでもないしさぁ。
漠然と、「欲しいなー。」って思うことあるもの。
それこそ、性的欲求はゼロだよ。
だから、オトナ玩具とはちがうの。
なんというか、携帯のストラップとか、
そーいう感覚で、欲しいんだよ。
口寂しいトキなんかにさぁ、タバコ吸ってた頃みたいに、ね?
しかも、肺ガンになる恐れも一切ナシ。
口動かしてりゃ、小顔運動にもなるんじゃないか?
しかもノンカロリー。
太りたくない女子どもには、うってつけ、ダロ?
だから、バッグの中に、ひとっつくらい忍ばせとこう。
こういうの、「局所崇拝症」ていうらしい。
やだなー。自分の漠とした心理が
どうして「症」のつくもので、表されちゃうよ?
なんか、ココロのビョーキを背負ってしまったようで、
イヤ〜な感じィ〜。
そして、わたしは、
阿部定も局所崇拝症に違いない、と勝手に決め付けていた。
そんなこと漠然と思ってた中、昨年の晩春だったかに、
阿部定事件が尾久で起きたことを知り、
こういうページを作るまでに至った。
けれど判ったことには、彼女は、局所崇拝症なんかじゃなかった。
だって、阿部定事件とは、
ただの「純愛と嫉妬のなれの果て」だったんだもの。
彼女は、、、同士ではなかったよ。
むしろ、ある意味、彼女のほうがよっぽど「常人」ダ。
ハナシを戻すンですけどね、いえね、結局、その、
自分が完全に満たされるための「愛し合う手段」だなんて、
見つかってはいないよ。
きっと一生見つからない。
けど、それを追求し続けることこそが、
まだまだこれから数十年間と続くだろう人生における
「テーマ」になるんだろう。
平成15年 冬 * * * 美 奈
【 もしもじぶん、あとになって、イヤんなってきたら、
これ、予告ナシに消す。この無責任さ、ご勘弁の程。】